開発者ストーリー

MANARA化粧品について

私のように悩んでいる人を
一人でも救いたい!

10年間、ずっと肌がコンプレックスでした。

私は高校生の頃からひどい肌あれに悩んでいました。あまりのひどさに「言いにくいけど、ファンデーション塗った方がいいよ。」と人から言われたことも。肌の汚さを指摘されたことで自分を全否定された気がして、それ以来誰かに素肌を見せることが怖くなってしまいました。

アクナル開発者
佐々木 春佳


どうにかしたくて、たくさんの化粧品を試しました。でも、私の肌に合わず、ひどくなるばかり。おさまらないならせめてメイクで隠そうと、下地、コンシーラー、カバー力の高いファンデーションで必死ににきびを隠していました。友人と温泉旅行に行っても、温泉に入った後にこっそりファンデーションを塗って寝ていたほど人に素肌を見られたくないと思っていました。にきびを隠したいからファンデーションを厚塗りする。でもそのせいで悪化する。それでも見られたくないから、またファンデーションで隠す。の繰り返しで、毎日罪悪感でいっぱいでした。

化粧品会社なのに自分だけ...

そんな悩みを抱えながら大学生活を終え、縁あってマナラ化粧品に入社しました。製品開発部に配属され、様々な製品を開発し、たくさんの苦労もありましたが、お客様のお喜びの声をいただく度に、「頑張ってよかった!」とやりがいを感じる日々でした。

一方で、私の肌はというと、マナラを使うようになり、今まで間違ったケアをしてきたことがわかり、だいぶおさまってきました。しかし、それでもキレイになるところまでにはなりませんでした。季節の変わり目などひどい時には、肌あれが顔中に広がることも。この頃は、化粧品会社に勤めていると人に言うのがとてもイヤでした...

当時のあれた肌

副社長に直談判
「自分のために開発したい!」

ある日、「こんなに私は色々試したけれど、どれも自分には合わず長年悩んできた。もし私自身がキレイになれる化粧品をつくることができたら、私と同じように悩んでいる人を救えるかもしれない!」と思い立ち、意を決して「私に合う化粧品を開発させてください!」と副社長で開発責任者である日髙に直談判しました。
すると日髙は、意外にもあっさり承諾。しかし次に言われた言葉に私は身が引き締まる思いでした。それは、「あなたの肌に確実に合わなければ絶対に発売しない。」というものでした。

苦難の連続。
もうダメかもしれない...

意気込んで開発に着手するも、苦難の連続でした。
理論上では肌あれを防げるはずなのに、防げない...。強い成分を使うと、健康な肌まであれてしまう...。やっと理想的な化粧品ができ、モニター結果もとてもよいデータがとれ、ついに発売日も決定!というところまでいったのですが、高配合にこだわった成分が、時間とともに固まり化粧水に沈殿...。製品化を断念したこともありました。
これ以上のものは他にない!と言えるほど情熱を込めた製品だったので、本当に悔しくて悔しくて...このときばかりは何度も泣いてなかなか立ち直れませんでした。

アクナルが私に自信をくれました

でもこの辛い経験が、さらに前の試作品を超える製品をつくることができるきっかけになりました。

そうしてできたのが、マナラ初の姉妹ブランドACNAL(アクナル)です。

「私のための化粧品をつくりたい!」そう決意してから3年半もの歳月がかかりましたが、今では肌をほめられることが多くなりました。今は胸を張って「化粧品会社で働いています!」と言えます。
私に自信をくれたアクナルが、私と同じように悩んでいる人を一人でも救えますように、心から願っています。